今日は朝から車を飛ばして、渋川市へ向かった。

友人の父の告別式に出席するためである。

これから書く内容は、とても悲しい内容ですが、とても大切な経験をしたので書きます。

彼の父はまだ若く、1年間の闘病の末に11月3日に逝去されました。

市内、いや県内外にも名前の届く名士との事で、斎場の中には140本もの顕花が並んでいました。

告別式の後半に、故人の孫の挨拶。とても元気に大きな声で「おじいちゃんへ・・・」と挨拶をしていました。

そして最後に喪主である友人の挨拶。

はじめに父の闘病がとてもつらいものだった事を説明し、その次に「父には何も教えてもらわなかった。」「酒も一緒に飲んだ事がない。」と親子の間柄がすこし険悪な状況だったのかと思うような言葉に、私の心が少し揺れた次の瞬間。
「しかし、父は自分に背中をずっと見せていてくれた。そしてその父の偉大さや無言の愛情の尊さを、父を亡くした今、身に沁みて実感した」と声をからしながら語ると会場全体が大きな悲しみに包まれた。

その時に、友人の親子の絆や愛情の深さを目の当たりにして、私にも深い悲しみの感情が込み上げて目頭を押えた。

そして次に私の頭には、自分に死が訪れた時はどうなるのか?

自分は息子に何を残してあげられるのか?家族には?という疑問符が浮かんだ。

私がスキーの現役に拘っている理由の一つに息子に私のスキー選手の姿を見せてお 
きたいという思いがある。

下の息子がもうすぐ3歳になるが、記憶をとどめられる年齢ではない。

上の息子はかなりスキー対する情熱が高まっているように見える。

しかし、見せなければならないのはスキーをしている自分の姿だけではないだろう。

気持ちの強さや、やさしさ、時にはおどける表情も必要だと思う。

すべて完璧には行かないだろうけど、私は自分らしく家族と接する事を貫いて行きたいと、今こうしてブログを書いている中でやっと心の整理が出来た感じがする。

家族との貴重な時間をしっかりと刻み続ける事の大切さを友人の出来事を通じて改めて感じた日だった。