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9月3日から宮城県七ヶ宿町にて開催されていました。
「2013 FIS グラススキー世界選手権大会」9月8日に全ての競技を終えて幕を閉じました。
9カ国、70名の選手で競われた競技は概ね天候に恵まれ、スーパーGで女子2位、スーパーコンビで女子優勝、3位、大回転で女子が優勝と5位、そして回転競技では入賞はありませんでしたが、地元開催の日本チームが活躍した大会となりました。
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私は回転競技のみの出場でした。練習時間がそんなに取れない事が1種目の理由ですが、私の体つきや特性は回転以外には成績は期待できないと自分でも分析していました。それでも8年ぶりに体感するレース用のスキーは予想以上にスピードが早く、身体が遅れる、ポールセットのタイミングについていけない事の連続でした。
そんな中、私がもう一つ取り組んだのが、パワーと早い動きを引き出す事です。この動きを実践するには陸上の短距離走が良いと思い、普段トレーニングしている代々木の国立競技場で200m、100m、50mのダッシュトレーニングをかなり重ねました。
45歳という年齢の身体は、はじめは50mすら全力で走れない状態で、トレーニングのレベルを上げていく段階では、30分以上そこから動けなくなるほどの過酷な状況がありました。

そんなトレーニングを2ヶ月以上続けて、8月にはスクール参加者の金光さん(元陸上選手で日本記録ホルダーでした)にコーチングを受けて最後の追込みを行いました。異種のスポーツを真剣にすることが、こんなに良い成果を出すのかと本当に身をもって発見することが出来ました。金光さんありがとうございました。

そんな取り組みを得て大会前の調整は、大会のスピード感とタイミングを合わせることに集中しました。GSの競技日には自分の体感スピードを上げるべくGSのアップトレーニングに参加し、またスーパーコンビの日には、回転の最終調整と世界とのレベルの差を確認する事が明確に出来ました。

そこで、気づいたのはグラススキーはズレない特性があるために、スキーのライン取りがとても重要だという事です。トップ選手の特徴はライン取りがタイトですが、ポールまでの間に荷重がされて、ポールの横で切換えし動作に入ることが多いようです。
その点を出来るだけ回転でも引出そうと、再度エッジングのタイミングを注意しながら最終調整を当日まで行いました。

私が目指すのは過去の最高位更新です。(17位が過去最高位)今回は日本で開催という事で私のFISポイントランキングの順位34位に対してスタート順は23番目、10名ほど私よりポイントの良い選手がエントリーしていないという事です。そんな中、日本選手の7番手としてスタートしました。前半からスピードに乗せる事を意識していましたが、なかなかスピードに乗る事はできずに後半は少し横ズレを感じながらゴール。19位のタイムでした。
その後、後ろから抜かれる事はなく、2本目は12番スタート。1本目よりスタートが早いので積極的に滑る事を意識してスタートの準備をしました。
* グラススキーはコースの芝(草)が剥げると土が出てそれが横滑りや、スキーの回転を悪くする方に作用するので、スタートは早い方が優位です。

そして2本目スタート、序盤でスピードに乗るように1本目より高い位置からエッジングを行う事を意識してスピードに乗せて行くことが出来ました。また、後半で減速しないように身体を落としながら素早く切換えし、ゴールまで落ちてゆく事も出来ました。
結果、最終順位は14位。自己の最高位更新です。
ゴールした瞬間。身体の底から、もの凄いエネルギーが湧き上がるのを感じました。

いろんな事を考えると、今回大会に出場すること事態が無理な事では?・・という心境がいつも私の心の中を支配していましたが、それを打ち崩すべくトレーニングの的を絞って積み重ねる事で、成果を出す事が出来ました。

また、今回の出場の最大の理由でもある。息子たちに「世界に挑む自分の姿を見せたい。」という思いも、2本目ゴール時点では1位でしたので、その瞬間だけは息子たちの心に何かが響いた事と思います。
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また、今回はチームジャパンのキャプテンを務めさせて頂きました。
今回はシニア選手は基準をクリアしたメンバーだけが選ばれ、それにジュニアの推薦選手を加えた26名と前走を務めたサポート選手の大所帯での大会となりましたが、次の若い世代の選手には、いろんな意味で良い経験をしてもらえたと思います。そんなチームキャプテンが出来た事は、大変名誉であると同時に、正直に誇らしく思います。
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そして今回の大会では、チームの監督・コーチ・地元関係者の大変な苦労の中で開催されていました。初日に訪問させて頂いた被災地(山元町の被災地の小学校を訪問)では、90名の人たちが津波が1メールしたまで届いている状況の中で、小学校の屋上で一晩を過ごしたというお話を聞き、そしてその現場を目の当たりにして、スポーツをさせていただける事に深く感謝するところからこの大会が始った事も忘れてはなりません。本当に多くの方々に支えていただいて、世界へのチャレンジが出来ました。

そして、個人的な話ですが、今大会の成功には私の友人である。藤田洋一さんの存在なくしては語れません。大会運営の全てのことを把握し、本当に多くの時間と苦労を乗り越えた彼の功績で、素晴しい大会となりました。本来であれば私も運営側にいなくてはいけませんが、私の我がままを聞き入れて頂き、本当に感謝です。実は本人も滑りたかったみたいです。事あるごとに「申し訳ない」という思いが私の中にはありました。だからこそ、「必ず成果を出す、出場するだけでは終わらない。」という強い気持ちがあったのかもしれません。

私のスキーヤーとして現在の立場は、過去のグラススキーへの取り組み無しではありえません。
グラススキーという過酷な状況を滑ることを経験していると、技術選のコブの中の総合滑降はすごく簡単に見えました。しかし、最近は平らな技術選の斜面も少し難しく思う時もあります。今回の経験がこれからの私の人生にとって素晴しい影響を引出してくれるよう、これからも私はいろんな面で努力し続けてゆきたいと思います。

最後にご声援いただきました。皆さん本当にありがとうございました。

そして、今日からスキコンが始ります。まずは仕事を一生懸命頑張ります。


●一緒に挑んだ地元七ヶ宿の八島選手。今回で引退だそうです。
私引退のアピールするの忘れました。まっいいですね。
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●男子スーパーGの上位選手。チェコ・イタリア・スイス・オーストリアの選手は一つレベルが上でした。
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●スーパーGのスタートからのアングルです。
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●選手のインスペクション風景
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●今回コース係長として頑張った渡部コーチ「秀お疲れ様です。」
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●皆さん!ご声援ありがとうございました。
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